日経新聞のスポーツ欄に、「フットボールの熱源」という不定期(なのかな?)コラムがあります。そこの内容は単にサッカー、というだけではなく、サッカーを通じて人生や、ビジネス、人とのコミュニケーションのあり方など、その本質について問いかけてくる秀逸な内容になっており、私はいつもとても楽しみにしています。このコラムを読むために日経新聞を取っているといっても過言ではありません。
今回、「「微妙ですね」に潜む危うさ」というこれまたうなるコラムがありましたが、ブログでご紹介している方がいらっしゃいましたので、こちらにご紹介させていただきます。私も最近まで少年サッカーのお手伝いをしていたのですが、とても考えさせられる、すばらしい内容だと思います
- 喜連サッカークラブ 2009年09月30日 ~ 「微妙ですね」に潜む危うさ ~
サッカーを頑張る子供たち、スタッフ・保護者の交流の場になれば・・・と願うブログです
・・・・・欧州の解説者は、判定やプレーの選択が正しかったかどうか、失点の責任がだれにあるのかをはっきり示す。それこそがプロの解説者の仕事という以前に、意見を求められたら明確に見解を述べるのが、社会の常識だからなのだろう。
ひるがえって、日本ではあいまいな態度を示しても許される。それが美徳のようにもとらえられている。だから解説者は「微妙ですね」を連発する・・・・・・・・・
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