世の中にはいろんな本が出回っていますが、若いとき、というより小さいときに、通っていた塾の先生に「そういう本を君が読むのはまだ早い。あまり読まない方がいいよ」と言われたことがあります。勿論あっち方面の本ではありません。読んでいたとしても塾の先生にはバレてなかったと思います(何の話?)
どういう本かというと、これでした。
実は注意されたのは中学二年生の時の話です。確か記憶では著者はデール・カーネギーではなく、ドロシー・カーネギーだったと思うのですが、まあ、人の記憶というのは曖昧なものですね。さすがにその頃の本なので、今はもう持ってませんし、正直中身も良く(というかほとんど)憶えてません。
当時住んでいた地元の本屋で偶然見かけて買ったのですが、どういう動機で買ったか言うと、
「将来起業して、売上1兆円企業を目指す。成り上がるぜベイベ-。そのためにはまず人の使い方だな」
などと田舎の中学生が考えるわけでもなく、単にそこに書かれていたいろんな人物の示唆に富んだエピソードがおもしろかったからです。人を動かす、なんて事はさらさら考えた事もありません。結果的に今こうやって会社をやってはいますが、これも巨大な野心があった訳でもなく、実態としてはほとんど行き当たりばったり成り行き任せの結果論に過ぎません。未だにいろいろと試行錯誤しています。動かしているどころが、動かされてる感すらあります(それはそれで経営者としてはかなり問題な気が・・・汗)。
しかし、今になってよく考えてみると、確かにこのタイトルはちょっと刺激的で、塾の先生が注意したのももっともだと思います。そろそろ微妙な管理職の登竜門に近づいている30代のサラリーマンが買って読んでいる、あるいはおませさんな若い20代のサラリーマンが読む分にはまだ理解できますが、14歳くらいの中学二年生が読んでいると、普通の大人は「むむむ?」とちょっと顔をしかめるかもしれません。私だったら「アホか、ガキのくせに100光年早いわ」とすかさず頭しばいてたと思います。しかし、自分で自分に突っ込むことは出来ません。残念です。
本というのは、私はある意味時間と空間を超えた著者との対話だといつも思っています。最近はネットもその機能を担ってくれますし、電子出版も華やかになっていますが、読書の持つ意味の本質と重要性は何も変わっていませんね。ただ形が変わっていくだけだなぁとしみじみ思います。
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