あまり知られていませんが、一時期、日本楽器製造(ヤマハ)と、本田技研工業(ホンダ)、この日本を代表する両企業の社長を、とある兄弟が努めていた時期があります。ホンダは兄の河島喜好元社長、そしてヤマハは弟の河島博元社長です。
ちょうどバイクで両社は「HY戦争」と呼ばれる激しい競争を繰り広げていた時期という事もあり、余計な詮索を嫌ったこの兄弟は、プライベートも含めて長期にわたり接触をほほとんどせず、マスコミからの取材も一切受け付けませんでした。
どちらもサラリーマン社長で、兄の喜好は本田宗一郎から直接薫陶を受けた世代で、直接宗一郎から後継指名を受け、45歳の若さでホンダの社長に就任しました。若いうちに社長に就任し、早く燃え尽きて後任に譲る、というのがホンダの社長の不文律です。
他方弟である博は、兄よりはやや(というのでしょうか・・・)不遇なサラリーマン社長人生となります。ヤマハの事実上のオーナーである川上氏から後継社長に任命されますが、結局業績を上げながら、川上親子のご乱心で社長を突然解任されます。そしてその後中内社長の要請でダイエー再建を担うことになり、ダイエーを回復軌道に乗せますが、やはり息子への禅譲といった問題で、ダイエーを去ることになります。
河島氏無き後のヤマハはその後業績の低下を続け、失われた10年、とも言うべき時代に入ります。リゾートに手を出し、多くの赤字を作る一方、金のなる木に育った「ヤマハ音楽スクール」をあたかも自分が立ち上げ事業のように吹聴し(実際は別の役員が立ち上げたサービスなのですが口止めをする)、やりたい放題をしていきます。最終的には役員のクーデーターによって川上親子はヤマハから追い出される訳ですが、河島氏亡き後の損失はあまりにも痛いとしか言いようがありません。
河島氏は二人のオーナーにある意味振り回されたとも言えるのかも知れませんが、しかし、プロフェッショナルな経営者としての氏の業績は、今もなお燦々とその輝きを失っていません。そのことがこの「社長の椅子が泣いている」に書かれています。この本を上程する課程で、著者が河島氏にインタビューを申し込みましたが、直接表舞台に出るようなマネは勘弁して欲しい、という事でお引き受けしていただけなかったそうです。
この本は新刊ではなく、2006年に買った本なのですが、そこに出てくる様々な具体的なエピソード、あるいは教訓というのは、本を直接読んで頂くとして、私としては、よりよい企業統治とはいったいどのようなものなのか、深く考える機会になりました。私は-今はまだ、吹けば飛ぶようなサイズではありますが-この会社のオーナー兼経営者で、どちらかというと「ご乱心」する側の立ち位置に立っています。何を基準に考え、行動しなければならないのか、エピソードの行間から、規範になるような部分を沢山学んだように思います。
と思って、何も学んでない、というのがいつものパターンなので、気をつけないとなりませんね。(何しろすぐ忘れるからなぁ・・・ごめんねうふっ)
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