先日、立て続けにいくつかのマンションにおじゃまする機会がありました。どこもとても感じのとても良い、素晴らしいところだったのですが、その時あれ?と我ながら妙な事に気づきました。
それは、どこのマンションも、エレベーターに棺桶が入らない、という事です。
当たり前ですが、棺桶はお亡くなりになった人をお納めするものです。となると、当然横長ですし、そのままの状態で移送する形になります。まさかエレベーターに入れるために、棺桶を斜めにする訳にもいきませんし、仏様を背中にかついでエレベーターに乗るわけにもいきません。
ということは、つまり、マンションというのは、例外こそあれどかなりの部分、そこで自分が死ぬ、という前提では無く、亡くなった後戻ってくることも出来ない、という事に改めてというか、今更ながら気づいたのです。
実は私は数年前肉親を亡くしたのですが、その時に病院から有り体に言うと以下のような事を言われました。
「もう治る見込みがない。ここは治る人を治す場所なので、早く出て行ってほしい。入院して四ヶ月目になると点数が稼げないので、病院としても赤字になる。ベッドが開くのを待ってる人も多い。後は在宅で通院にして、いよいよ「その時」が来そうになったら、また病院に来てください。そしたら最後は面倒見ますよ」
勿論これは私の「翻訳」で、実際にはとても気を遣って頂いた柔らかな物言いでした(当たり前ですが)。でも、結局はそういう事です。
自宅で身内に看取られながら亡くなっていく、という事は、世間一般的にはかなり「贅沢」な希望である、というのは、いろんな雑誌や新聞、あるいは倉本聰脚本のドラマでも、しばしば取り上げられる事です。
しかし私はそれを今まで、それを主に医者の人数や医療機材といった、医療体制やテクニカルな問題だと思っていましたが、必ずしも今はそうではなく、住居構造という視点もある、という事に今更ながら気づいたのです。
私の肉親は、ド田舎のかなりボロな一軒家に住んでいました。最後病院で亡くなったのですが、私は最期を看取ることが出来ず、駆けつけたとき、もう亡骸は病院から自宅に移送されており、床の間で寝かせられていました。濃密で、生暖かい死の気配が、家中のあらゆる隙間という隙間にまで漂っていました。私はそこで、昔はどの家でも、日常の中にしばしばこのような非日常が存在しており、死が比較的身近なものだった、という事にも初めて気づきかされたのです。
そのときの事を思い起こしながら、「死という日常」を、改めて正面から考えさせられる一日になりました。春のうららかな日に、なんかディープな話題ですいませんね。。
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