先日、マタハラの体験談のマンガがネットでバズってました。と言っても、マタハラをされた人の話ではなく、した人のお話で、妊娠した先輩に腹を立てるも、いざ自分が同じ立場になって、初めて人の痛みがよく分かったというお話でした。
マンガを読むと、どうもこのお話はIT会社での出来事のようです。私も業界人の端くれですので、今まで修羅場火事場はそれなりに体験してきています。ので、このマンガを見て、「戦力の逐次投入はベトナム戦争のアメリカと同じで泥沼化するだけでしかもコストが膨らんで終わり」とか「誰か追加で入れないとならないが(と考える事が既に間違いなんですが)誰も空いてないのでこの歳仕方無いネコの手でもいいだろと新入り入れると余計現場の負荷が増えるだけで何の解決にならない」等は実によく分かります。このマンガに出てくる新人が使い物になる人で本当に良かったですね。
で、それはさておき、このマンガを見て、私はすかさず「リーガル・ハイ2」の最終回の事を思い出しました。
男性を毒殺した容疑をかけられている安藤貴和(小雪)の極刑を回避し、無罪を勝ち取ろうとしている弁護士の古美門研介(堺雅人)と黛(ガッキー)、それに検察側の羽生(岡田将生)との法廷バトルのシーンが出てきます。最終的に古美門は無罪を勝ち取るのですが、その際古美門は羽生にこう語りかけます。一部抜粋すると、
羽生「僕のどこが間違ってるんですか!?」
古美門「間違っていないと思っているところだよ!君は人間は愚かだと言った。全く同感だぁ。どいつもこいつも愚かで、醜く、卑劣だ・・・わがままで勝手で、ずるくて、汚くて醜い、底辺のゴミクズども、それこそが我々人間だ」
羽生「だから、だからそれを導こうと・・」
古美門「それが違うんだよ、まずそこから降りろ!自分も底辺の醜いゴミクズの一匹である事を自覚しろ・・・もし君が、皆が幸せになる世界を本当に築きたいと思うのなら、方法は一つだ。醜さを愛せ」
ホント名作のドラマです。。
このマンガから得られる最大の教訓は、「マタハラはサイテー野郎のやることだ」とか「マタハラをするのはダメだよね」と言ううわべのお話ではありません。結局人というのはしょうもない奴で、自分もそのしょうも無い奴であり、同じ事をしでかしてしまうかも知れない。だから自分だけは絶対に違う、と思わないという事です。そしてそれこそが本当にそうしない一番の道だという事です。
そういう客観的に自分を見つめる事が出来ないと、この人のように滑稽で笑い転げてしまうくらいジコチューになってしまうわけです(まあこれはこれでちょっと釣りっぽいネタですが)。
世の中には毎日悲しい、腹立たしい、そして残酷な事件が起きており、ニュースで流れてきます。私はそれを見ていて心を痛めますが、それと同時に「もし何かが間違っていたら、私がその事件の被害者というだけではなく、加害者にもなっていたかも知れない」という事を常に意識しています。自分は絶対正しい、間違ってないと思い込むことこそ恐ろしい事はありません。実際には殺人も下着ドロも私はありえませんが(って、今後本当にやってしまったらブログでこんな事書いてたぜこいつとか言ってこの記事テレビで流れるんでしょうね 汗)、そう思うという事は、とても大事なように思います。そしてもし、少しでもそう思えるのなら、罪を犯した人も少しは許してあげられるのかも知れません。
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